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NPRのホームページに興味深い特集が組まれていたので、読んでみました。恒例の、趣味の翻訳コーナー~ぱちぱちぱち。シリーズ全4回だそうです。がんばって4回を全部訳したいと思います。

NPR:Hacking the Himalayas

ハッカーが旅するヒマラヤ

ハッカー、ジーニ・ジャルダンが世界最高峰のヒマラヤを旅して、古代の文化がどのようにして現代に適応し、いまやインターネットでひとつになった世の中でいかに神聖なる彼らの伝統を維持しているかを学ぶ―

第1回:ダルムサーラのガディ族の人々

中国がチベットを支配した1950年、何千人ものチベット難民が南の国境を越えてインドの都市ダルムサーラへと非難した。1959年にダライ・ラマがダルムサーラに亡命、そしてこの値でチベット亡命政府を立ち上げた。

2世代を経ても、人々はいまだチベットの地へ戻ることを望んでいる。そうした中、ダルムサーラの北部では、チベットの首都にちなんで“リトル・ラサ”と呼ばれている。

しかしチベット難民がここに来る前は、ダルムサーラはガディ族の土地であった。こうした周りを取り巻く地域社会の変化によって、半遊牧民的な生活をおくるガディ族は、独自の文化と言語を維持する難しさに直面した。(「つづきを読む」をクリック)

デリーから、舗装されていないでこぼこの危険に満ちた道路を、車でダルムサーラへ向かった。私のガイドはアジャイ・サーカーという20歳のガディ族の男だった。彼は何マイルもの間、ずっと民族に伝わる歌謡を歌ってすごしていた。アジャイの歌声は、窓の外のカオスと化したの恐るべき交通事情から目をそらすのに役立った。

アジャイの歌にある歌詞は、翡翠のごとく緑の谷、神の涙から出現した魔法の湖、悪魔と神々の闘いによりできた峰々など、まるで神話の世界の中の王国のようだ―実際に、これらの歌はガディ族の故郷を讃える頌歌であった。

ダルムサーラ滞在中に、ガディ族の民謡を歌う有名な歌手スニル・ラーナを訪ねた。小さな、田舎の丘の上にあるサトビリィ村であった。夜が近づくと、雄鶏とヤギが小屋に入れられた。台所から外を眺めると、雪に覆われた山の頂上に日が沈むのが見えた。

夕食の後、スニルはもうひとつのおもてなしとして、古典の良く知られた民謡ではなく、自分で作曲したオリジナル曲を披露してくれた。ちなみに、スニルはこの歌をガディ族の言語で書いてはいない。というのも、この地域の人々はガディ語で話すものの、タクリと呼ばれる文字は、事実上廃れてしまっている。

ガディ族の遊牧生活は、彼らの書記言語の文化を守ることを難しくしている。スニルの作曲手帳には彼の作った歌詞がガディ語の発音で、デヴァナグリというヒンディ語の文字を使って書き留められていた。

だが、ガディ語は話し言葉で生き残っている。スニルは彼の音楽がガディ語の守ることにつながるのだと語った。最近、インドラジオ放送局のなかの、州が運営する番組で定期的に歌っているという。ダルムサーラのガディ族社会では、彼はスターなのだ。

ガディ族の民謡と祝いの儀式の写真はこちら
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